映画『グーグーだって猫である』
映画『グーグーだって猫である』を観てきました。
天才漫画家の麻子さんは最近元気がない。15年連れ添った愛猫のサバが死んでしまってから、仕事のペースもめっきり落ちてしまった。
そんな麻子さんはある日意を決して足を踏み入れたペットショップで新しい相棒、グーグーと出会う。
グーグーを迎えてから、麻子さんの生活も一新し、再び訪れた笑顔と笑いの溢れる日々。
新しい恋の予感、新作の構想・・・全てがうまくまわり始めたかに見えたところで、新たの試練も訪れるのだった。。。
そんなストーリーかな。
もっと猫愛映画に仕立てあがっているのかと思ったら、そうでもなかった。
(もちろんグーグーはじめ、登場する猫たちはみな素敵だったし、わたしの大好きな象の花子さん@井の頭動物園も登場したし、よかったのだけれど、でも何か物足りないと思ったら、猫のゴロゴロ音がないのでした。特にグーグーは「んーるるる・・・」と鳴くらしいのだけれど。。。聞きたかったな)
むしろ、女の人が生きていく物語になっていたと思う。
麻子さんの生きていく道や、それを脇から見つめつつそっと支えているアシスタントのナオミちゃんの生きていく道。
順風満帆とは行かないけれど、くじけそうになったり立ち直ったり傷ついたり喜んだりして、生きている・・・常に死が背中合わせにあることを知りつつ。
わたし個人的には、泣かされ所満載で、ほとんどうるうるしていたかもしれない。
観る人が観ればなんてことはないのでしょうけれど、わたしにはとても悲しい映画だった。
共感する部分もあるけれど、それ以上に、自分の想像力によるものや、何かに起因して考えてしまうことによって、今でもそれを考え始めるとすぐに泣けてくるくらい、悲しいです。
具体的に何が、とは、書こうとすると泣けてくるので割愛します。
もしかしたら、映画の中でナオミちゃんがはじめて麻子さんの漫画を読んで感動で号泣するシーンがあったけれど、大島弓子の漫画には確かにそういう(読むものの心を強くつかむ)力があるし、それは映画で描かれていたように、ご本人が常に死を思って生を大切に生きているからかもしれないし(実際はどうだか知らないけど、本当にそうじゃないかと思われる)、漫画で描かれる独特の世界観みたいなものを犬童一心監督が映画の中で的確に表現していたのかもしれないし、犬童監督もそのあたりを描くことにかけて長けているからかもしれない。
それにしても。
今まで上野樹里をそれほど好きじゃなかったけれど、この映画ですごく好きになりました。とても可愛かったし、彼女の可能性にようやく気付けた感じです。
それから、若い頃から好きだったけれど、小泉今日子は年をとるほどより好きになります。がむしゃらな感じではないけれど、きちんと努力をして、年齢とともに新たな扉を開いていっている感じがします。
そして、麻子さんの着ているものとヘアースタイルが素敵だった☆
わたしはここ半年以上パーマヘアで、そろそろ飽きていたところだったのだけれど、思い切ってあんな風にクリクリにしてみようかしら、と検討中。
by chiemhana
| 2008-10-02 13:29
| 映画