生きること
友人のおじいさまが亡くなられたそうです。
やや認知症の気配はあったものの体はいたって健康。
朝起こしに行ったら息をしていなかった、本当に眠るような死だったそうです。
92歳。
大往生と言えるのではないでしょうか。
病気らしい病気もしたことが無いそうで、内臓もきれい、骨もきれいだったそうです。
その話を聞いて、また悲しくなりました。
おじいさまが焼かれた昨日、偶然にも、夫の教え子もまた焼き場で灰になりました。
17歳の彼女は自らの人生に、早すぎる幕引きをしました。
すでに担任ではなく、直接のつながりがなくなっていたものの、彼女が心の内に抱えた問題を知っていた夫は深く気落ちしました。彼女の死を知ってからの3日間、わたしたちは暗澹たる気持ちを抱え、空元気で互いを励ましあうように過ごしました。
昨日が告別式。最後まで立ち会った夫は、少し気の晴れたような顔をしていました。
でも、精神治療薬を常用していたからだろうか、骨が小さかった、とさびしそうに話していました。
それを聞いて、わたしも非常にやるせない気持ちになりました。
「人が死んだ」と言葉にすると同じでも、両極に位置するような二つの出来事。
友人のおじいさまのように、自分も健やかに人生を「生き終えたい」と願います。
そして、わたしと関わる人たちにも同じような思いを、少しでも分け与えられたら、と思います。
何か言葉で伝えるのではなく、自然に伝わるような…そういう風に生きていきたいものです。
やや認知症の気配はあったものの体はいたって健康。
朝起こしに行ったら息をしていなかった、本当に眠るような死だったそうです。
92歳。
大往生と言えるのではないでしょうか。
病気らしい病気もしたことが無いそうで、内臓もきれい、骨もきれいだったそうです。
その話を聞いて、また悲しくなりました。
おじいさまが焼かれた昨日、偶然にも、夫の教え子もまた焼き場で灰になりました。
17歳の彼女は自らの人生に、早すぎる幕引きをしました。
すでに担任ではなく、直接のつながりがなくなっていたものの、彼女が心の内に抱えた問題を知っていた夫は深く気落ちしました。彼女の死を知ってからの3日間、わたしたちは暗澹たる気持ちを抱え、空元気で互いを励ましあうように過ごしました。
昨日が告別式。最後まで立ち会った夫は、少し気の晴れたような顔をしていました。
でも、精神治療薬を常用していたからだろうか、骨が小さかった、とさびしそうに話していました。
それを聞いて、わたしも非常にやるせない気持ちになりました。
「人が死んだ」と言葉にすると同じでも、両極に位置するような二つの出来事。
友人のおじいさまのように、自分も健やかに人生を「生き終えたい」と願います。
そして、わたしと関わる人たちにも同じような思いを、少しでも分け与えられたら、と思います。
何か言葉で伝えるのではなく、自然に伝わるような…そういう風に生きていきたいものです。
by chiemhana
| 2006-02-08 10:17
| 雑記