本や映画、食べ物、ヨガのことなどなど・・・心にピンときた、いろいろのものについて思ったことを書いています
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ひとりでみたいかも

『ノルウェイの森』主演は松山ケンイチ、菊地凛子がヒロイン:エキサイトニュース


以前に、妄想を繰り広げている旨をここにも書きましたが、
村上春樹の『ノルウェイの森』が映画化されることになって、
そしてキャストが決定。
撮影もスタートしているようですね。


ワタナベ=松山ケンイチ
・・・いいですねぇ・・・
申し分ありません。
(キャスティングの)妄想しているうちの1人だったし、
わたし的候補の中で最有力だったので、
そういうキャスティングをされたってことは
作り手側全体に信頼感も生まれて、
かなり期待が高まります。

ただ・・・
直子=菊地凛子
にやや・・・がっかり。
だって年齢的に、
って女優さんに言ってはいけないのか。
確かに『バベル』で演じた女子高生に違和感はなかったので、
演技力に期待したいものです。


キャスティングが発表されて、また妹とひとしきり盛り上がったのですが、
来秋公開予定の映画は、
実はひとりで静かに味わいたいかも・・・
と思っていたりします。



『ノルウェイの森』についての個人的感想はこちら→http://chiemhana.exblog.jp/1214838/
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by chiemhana | 2009-05-14 17:07 | 雑記

『東京奇譚集』村上春樹

東京奇譚集
村上 春樹 / 新潮社




村上春樹の最新作、さっそく飛びつきました。
タイトルの通り、奇妙な出来事をテーマに描かれた五つの短編が収められています。

村上春樹作品の流れのなかで見れば、同一のテーマで書かれた短編集ということで、『神のこどもたちはみな踊る』と同じラインに並べられます。
と同時に、この作品でもしかしたら、この作家は新たなステージに立ったのではないか、とわたしには思えます。
村上春樹的ではあるものの、村上春樹臭さのようなものがとても薄く感じられたからです。
他の作品はとても村上春樹臭いのです。
全然違う人物を描いていながら、どうしてもそこに作者の影が見え隠れする、ような。
それは、『神のこどもたちはみな踊る』でも感じられたものでした。
ところがこの『東京奇譚集』では、主人公の男が小説家であってさえ、作家の影は薄いのです。

まぁ、「どこであれそれが見つかりそうな場所で」「品川猿」に登場する特殊な職業と奇怪な現象は、非常に村上春樹的ではあるのですが。

わたしが好きだったのは「偶然の旅人」
読み出したら止まりませんでした。強く静かに心を揺さぶられます。
そして「ハナレイ・ベイ」
主人公のサチは息子を亡くしたのにも関わらず、意外に淡々と進む物語。
しかし終盤描かれる出来事に背筋の凍る思いをし、さらに胸を締め付けられるような悲しみを共有し、ラストは爽快感まで味わうことができる、すごい!の一言。
「日々移動する腎臓のかたちをした石」も好きな作品です。


最近はこの手の情報にもとても疎いのですが、村上春樹氏はまた長編を手がけているのでしょうか。
作品の質には満足でしたが、どうも“前菜”的で、ちょっと物足りなかったので、早く次の新作が読みたいものです。
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by chiemhana | 2005-09-26 20:47 |

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』

「いるかホテル」(本当はドルフィン・ホテル)に導かれ、羊男に繋げられて、素敵な耳を持つ女の子キキと、「自分が求めているもの」を探して、札幌から東京、ハワイ、再び東京、札幌へと、13歳の美しい少女ユキを道連れに、僕の旅は続く・・・奇妙で複雑なダンス・ステップを踏みながら・・・。
一体キキはどこへ消えたのか、六体の白骨は誰のものなのか・・・

簡単に要約すると、こんな感じでしょうか。
途中サスペンスを思わせるような要素もあります。
でも、これは「僕」自身の物語。
「僕」が旅しているのは、「僕」の心の闇。

以前(10年くらい前でしょうか)読んだ時には、表層的な部分ばかりを読んで面白いと思っていました。「これは村上春樹的なサスペンスなんだ」と。一般的なサスペンス(そういうのをわたしは読まないので本当はどうだか知りませんが)とは大分趣が違うかもしれないけど、これはハルキワールドなんだからこれでいいんだ、と。物語をなぞるように、青山、渋谷、表参道を歩き、ハワイでピナ・コラーダを飲んで満足していたものです。(日焼けとサーフィンはしませんでしたが。)
年をとり、自分が主人公の年齢に近づき、そして再読してみると、かつては見えなかったことが見えてきます。これは心の闇の物語なのだと。
おそらく誰しもが多少の差こそあれ持っているであろう闇。
それを深く掘り下げ、掘り進み、再び光の当たる場所へ戻ってくる。
誰も好んで心の闇を掘り下げたりしません。それは危険も伴います。戻ってこられなくなるかもしれない。でも、必要でもあります。光と闇のバランスを図るため、コントロールするため…やらずにはいられない時もあります。
何となく、これは作者が、自分自身で行わずに物語の中で主人公に代わりにさせている、そんな風に思えました。
そしてそれを読むことによってこの物語は、読んだ「わたし」の代わりの物語なのだと、そのようにも思えます。

順番としては、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』と読み進んでくるべきだったのですが、つい目に留まったこの作品から読んでしまいました。そして読みながら、先へ続くのは『ねじまき鳥クロニクル』かと思われるのでした。
(うーん、でもあの作品を読むのは辛いなぁ…)
そしてどうしてか、スガシカオが聴きたくなって、とりあえずⅰPodに追加。 

作品中の印象的なフレーズをいくつか。
「世の中には誤解というものはない。考え方の違いがあるだけだ。それが僕の考え方だ。」
〈なるほど。その考え方、いただき。〉

「人というものはあっけなく死んでしまうものだ。人の生命というのは君が考えているよりずっと脆いものなんだ。だから人は悔いの残らないように人と接すべきなんだ。公平に、できることなら誠実に。そういう努力をしないで、人が死んで簡単に泣いて後悔したりするような人間を僕は好まない。個人的に。」
〈ごもっとも。わたしもそう心がけたい。〉

「どんなものでもいつかは消えるんだ。我々はみんな移動して生きてるんだ。僕らのまわりにある大抵のものは僕らの移動にあわせてみんないつか消えていく。どれはどうしようもないことなんだ。消えるべき時がくれば消える。そして消える時が来るまでは消えないんだよ。」

「時間というのは腐敗と同じなんだ。思いもよらないものが思いもよらない変わり方をする。誰にもわからない」



さて、ここから先は、ごく個人的な解釈を書きます。
この作品をまだ読んでいなくて、これから読む予定の方は、ここから先へ進まないでください。







「僕」は自分自身を探している。そして現実である“ こちらの世界”と“あちらの世界”(おそらくは死のようなものを象徴している)を行き来する。
その間、さまざまな個性的な人物に出会うが、彼らはみな何かの象徴。
たとえば、何をやってもチャーミングで感じの良い、中学の同級生で俳優の五反田君。彼は「僕」の分身。(終盤「彼は僕の唯一の友人であり、そして僕自身だった。」という記述もあるが。)ユキはおそらく、現実側の人物でありながら、“あちら”と「僕」との繋がりを認め、現実に僕を引き止めつつ、橋渡しもする人物。彼女の両親、作家の牧村拓と女流写真家のアメは、「僕」が自分から切捨てた部分、まだ得ていない部分を持ち合わせていることから、これもまたある意味では「僕」の分身。(例えば、「僕」を中間として、両極に牧村拓とアメが位置する。牧村拓は現実、アメは非現実。「僕」はアメとユキが一緒にいる空間を好まないが、それは、非現実が“あちら”と結びつくと、現実に戻れなくなってしまうから。)そしてユミヨシさんは、非常に“現実”の人物。彼女が羊男の空間と結びついてしまったのは、おそらく彼女は「僕」が“現実”に戻るための鍵だから。彼女を入り口であり出口という存在として、「僕」の奇妙な旅は始まり、そして終わる。つまりは「僕」の影であったキキに誘われ、五反田君に象徴される心の闇と向き合い、そして葬り去ることで。
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by chiemhana | 2005-09-10 13:20 |

『ノルウェイの森』

再読。
といっても、拾い読み程度ですが。
(先週の朝日新聞土曜版で特集されていたのをみて、急に懐かしくなり、引っ張り出してきたものです。)

「好き」というよりも、あまりにもわたし自身に深く浸透している作品。
高校生のときに手にとって読んで以来、この作品がきっかけで村上春樹作品のファンになり、わたしの人生に深く影響を及ぼしています。
村上春樹作品で特に好きなのは実はこれではなく『1973年のピンボール』『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』なのですが。

何度も読み返してはいるものの、繰り返し読むたびに新たな発見と感動(?)があります。
これまでは、読みながら感情移入しすぎていたのかもしれません。
今は、少し高い位置から冷静に作品世界をみることができるように思えます。

大学生の僕は、高校生のときに親友のキズキを失い(自殺)、周りの世界とのバランスがうまくとれないと感じています。そんな時に、キズキの恋人だった直子と偶然に再会、デートを重ねるうちに僕は直子に好意を抱くようになります。ですが、僕と同じようにキズキの自死によって傷ついている直子は、次第に精神のバランスを欠いて僕の前から姿を消し、療養施設で生活するようになります。直子を深く愛し始めていた僕は、懸命に直子を支え、回復するのを待つ一方、直子とは対照的なミドリという同じ大学の女の子と親しくなります。ミドリも人の死と隣り合わせの中で生きていながら、彼女は生命力に満ち溢れ、ともすると直子と一緒に“狂気”へと足を踏み入れそうになる僕をひきとめます。直子を愛し、ともに生きたいと思う一方、ミドリによって現実に引き戻され、彼女にも強く惹かれていく僕・・・。


こんなお話。
かつては、「僕(ワタナベ)」のような男の子を理想と思ったり、直子の真っ直ぐさ、ミドリのしなやかさや活力に憧れたりもしたものですが、結局今になって読んでみると、「僕」の視点から、もろく危うい境界をあっちに行ったりこっちに来たりして日々を生きている自分をみているような気になります。

それから、何というわけではないけれど「何かを失ってしまった」という喪失感。
「僕」がキズキや直子を失って得た感情に深く共感を覚えます。

物語の中と、繰り返し読んだ頃の自分の記憶が絡み合って、ギューっと意識が過去に引っ張られる感覚を味わいました。
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by chiemhana | 2005-07-08 15:14 |